古き良き日本を求めて

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野口雨情の祖先ゆかりの地

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「七つの子」「しゃぼんだま」「赤い靴」で有名な童謡作家、

野口雨情(のぐちうじょう)

 

彼の生まれは茨城県。しかし祖先ゆかりの地と書かれた場所が、

豊田市足助町方面に向かう道沿いにあり、いつも気になっていました👀

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調べていくと、どうやら祖先は「楠木正成」の弟「楠正季

 

楠一族の先祖は奈良時代の皇族「橘諸兄」(たちばなのもろえ)

 

橘諸兄の父は敏達天皇の子孫、大宰師・美努王

聖武天皇の妻である光明皇后の異父兄)

 

橘諸兄の母は橘三千代県犬養 三千代)

後の夫は中臣鎌足の次男・藤原不比等(ふじわらのふひと)

 

異説もあるものの、この「橘諸兄」の末裔が「楠一族」だそうです。

 

えーと、、つまり楠木家の頂点に立つ楠正成の弟の正季が野口雨情の祖であり、

皇族の血が流れるということですね💦

 

歴史が得意なわけではありませんが、すごい方が豊田の田舎にいたもんだ。

とビックリ‼️

 

楠一族は南北朝時代南朝後醍醐天皇に味方した為、

身分を隠して現在の豊田市の野口町に逃げ込んだとのこと。(今なおド田舎です)

そこでバレない為に楠の姓から野口姓に改名。

 

これは後醍醐天皇に同じく味方した、足助次郎重範(あすけじろうしげのり)の足助一族も同じ。一族は改名したり、遠方へ逃げたので現在の足助町には足助を名乗る苗字はいなくなりました。

 

ちなみに私の母の叔父も後醍醐天皇の末裔をお嫁さんにもらったので、

やはり豊田市後醍醐天皇の流れが多いのかなと思います。

 

江戸時代に入り、楠一族の残党が茨城に隠れ住み、

どうやら水戸黄門で知られる徳川光圀が楠家を可愛がったそうです。

 

しかも水戸学によって楠正成は「悪党」から「勤皇の志士!」

に引き上げられたのだとか。

 

後に楠から改名した野口家からは多くの名士が出て各分野でも活躍。

その最後に誕生し名を遺したのが野口雨情。

 

やっぱり血筋ってすごい。と実感〜。

 

豊田市は、徳川家の先祖である「松平家」もあり、

益々興味ある土地に思えてきました。

 

あっぱれ三河!!